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不倫コンパがきっかけの忘れられない思い出

就職して最初の配属先は、東京23区外の支社でした。
大学時代にいたアパートから通えなくはありませんが、環境を変えるために引っ越しました。
それは、大学の後半を同棲して暮らした同学年の元カノが、卒業して去ったから、その思い出から逃れるためでもありました。
新入社員として勤務し始めて暫くしたら、先輩社員に誘われて合コンに行きました。
ワクワクして行ったら、相手はなんと40代50代の人妻でした。


みんな私を見て、若いボクちゃんだと大喜びしていましたが、
若い女の子を期待していた私は「マジか・・・」と思いました。
先輩社員は私の耳元で、
「一度熟女のマンコを知ったら、クセになるぞ。」
と言いました。
その日、私は47歳の人妻にお持ち帰りされて、ラブホで初めて熟マンを味わいました。
タダでオマンコができるんだと言い聞かせながら、お相手をしました。
彼女は、セックスレスで欲求不満が溜まってそうで、私のペニスにむしゃぶりついてきました。
そして、69になられて、目の前に熟女のオマンコがクパァ、
グロくて臭そうでしたが、なぜだか怖いもの見たさな気分になり、クンニしました。
正直、女子大生の元カノのオマンコと比べたら、汚らしい見た目で、
ビラビラもドス黒くて、クリも赤らんでいましたが、ゾクッとする興奮がありました。
コンドームして、グロい47歳のオマンコに入れました。
47歳のおばちゃんは、緩み始めた女体を波打たせて、ヨガりまくっていました。
分別のある大人の女性が、セックス狂いでパコパコしている姿に、ビックリしました。
しかも私に跨ってきて、グラインド騎乗位をはじめました。
合コン中は、セックスのイメージなど沸かなかった中年女性なのに、
セックスが始まるととんでもなくスケベでした。
私は、熟女の魅力にどっぷりとハマり、その支社にいた4年間、
不倫コンパに来ていたスケベ熟女5人全員と関係し、セフレにして熟マンを満喫していました。
元も深く、数多く関係した方は、30歳年上の50代の閉経熟女で、週1~2回していました。
ご主人とは完全にレスで、毎回生セックスで中出しさせてくれていました。
熟女セフレ5人のうち、生はこの方だけでした。
自分の母親より年上の女性とのセックスに興奮するばかりではなく、
彼女はかなりお綺麗な方で、清楚な良家の奥様みたいな感じでした。
でも、裸になると妖艶なフェロモンがムンムンで、エロ美熟女でした。
50代のおばちゃんなので、身体つきは少々だらしなく緩んでいましたが、
一度熟マンの味を知ってしまうと、その円熟味を増した身体にエロスを感じてくるから不思議です。
このエロい熟しきった身体が、何十年も夜の夫婦生活に勤しんできたと思うと、それを拝借する興奮をも感じました。
熟マンのドドメ色のビラビラを拡げて、かつては夫のペニスで何千回と出し入れされたことを思うと、
歴史ある愛の営みを他人ペニスで穢す興奮に見舞われました。
30歳も若い男の生ペニスで夫だけのものだった熟マンを掻き回され、
挙げ敷く愛液を噴きながら、ヒイヒイと下劣に涙目でヨガり狂っていました。
良家の奥様を思わせる清楚な美形が台無しでしたが、それもまた興奮材料でした。
若い女性と違って恥じらいなど捨てて、遠慮なく快楽を貪るからセックスも盛り上がって、
熟女のハリのない肌が汗ばんでくると、エロくて堪りませんでした。
4年付き合って転勤でお別れするとき、私26歳でおばちゃんは56歳でした。
最後のセックスは、お別れ記念に温泉旅館でお泊りでした。
大学時代は、56歳のおばちゃんとセックスするなんて、考えもしなかったです。
でも、最後の夜はベロチューしながら、本気で愛し合っていました。
あれはセフレの別れじゃなく、間違いなく愛があって、恋人でした。
おばちゃんに入れたまま射精して、抜かずに抱き合ったままキス、
再び勃起してきて二回戦、三回戦と抜かずの中出しを決めました。
56歳のおばちゃんが、26歳の私にしがみついて本気でイキまくる姿は、今も忘れません。
翌日、新宿駅で別れました。
「元気でね。さようなら・・・」
「お世話になりました。さようなら・・・」
今でも新宿駅に行くと、あのおばちゃんを思い出します。
あれから11年だから、おばちゃんは67歳になってます。
元気でしょうか・・・
おばちゃん・・・私も結婚して8年、子供がいますよ。
熟女好きの私の妻は2歳年上で、妖艶な美人です。
どこかおばちゃんの面影があるんです。
一度、おばちゃんに合わせてみたいなあ・・・なんて思います。
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